燃え上がれ〜燃え上がれ〜燃え上がれ〜金城ダム
って、それは昭和のガンダムだろ(・3・)!
はい、それではみなさん、自分の顎に手をやって〜♪
スリスリスリ〜
ん〜マンダム(´∀`)!
って昭和バリバリか!
ワワワワケンロー!!
ということでね、今宵はガンダム、マンダム、金城ダム!というお話お届けしました〜(´∀`)
つか、あくまでも噂だけど、ガンダムの名前の由来はマンダムから来てるとかって。
それからあのマンダムの前身って、ポマード&チックで一世風靡した『丹頂』だったんだってよ!?
若かりし頃には柳家ポマードと合わせてよく使ってたな〜(´∀`)
黒薔薇JAKOに出逢ってからは、油性は麝香に首ったけだけど♪(最近はめっきり水性ポマードです。。)
もう、ロックンローラーにとってはこれこそロックンロールインビジブル!
チック、チック、丹頂チックショー!
ハリウッドザコシショー(´∀`)
ダムだこりゃ!
てことで今回は首里城近くにある『金城ダム!』
那覇にあって、あれだけの大規模のダムってのがまずすごいよね。
しかも、実は金城ダム、施設内見学もできて短編ムービーが見れるミニシアターあったり、展示されてるダム模型が近代的でカッコいい!
さらに、全体的なダムの広〜い造りが自然豊かでウォーキングなどにも最適で、結構水際まで近寄れるし魚や鳥もたくさんいてピクニックなどにももってこいの場所なんです。
それではここで質問、県内には多くのダム施設があるけども、
一般的にダムと言えばその大きな役割とは何でしょうか?
大半の方が水不足解消のため、特に沖縄では断水にならないように、と答えるかと思う。
がしかし、実はこちらの金城ダムに関しては、あくまでも治水用、そう大雨による洪水や氾濫を抑制するために造られたダムなんです。
なので、このダムの水源が家庭用に飲料用として回ることはないんですね〜。
先週にお伝えした那覇国際通りあたりの安里川の氾濫が金城ダムに大きく関わってくるんだけど、安里川はかつてから大雨の度に氾濫を起こして住民たちの暮らしを脅かしてきた。
自分たちの記憶に新しい近年でも起きているくらいだから相当だよね。
その氾濫をどうにか抑制するために、人々の生活を守るためにと造られたのが安里川上流の金城ダムなわけ。
結果このダムの建設によって、だいぶ安里川の氾濫は抑制されるようになってきた。
もちろん逆側のもう一つの真嘉比川遊水池の整備というプロジェクトも大きいけど、ここはまた追って紹介します。
さらには先週お伝えしたように、サイオンスクエア一帯の安里川の改修工事で現在はおおよその川の氾濫被害を抑えられている。
もともと今の金城ダムの場所には、その近くにある農業試験場への供給用水も兼ねて『ため池』のような同じ名称の『金城ダム』があったらしいけど、下流域での深刻な水害を抑制するために1989年から10年以上かけて2000年にようやく完成したのが今の『金城ダム』。
場所が場所なだけに、地盤的な問題とか不発弾の処理問題とかもあって、建設に至るまでには相当大変だったらしい。
ダムの形状的にも珍しく、上池と下池という巨大な二つの別々の池から成り立っている。
ボス池は、ロックンロールで成り立っている(´∀`)
で、なんでわざわざ池を二つにしたのか、実はここに大きなインビジブルがあるんだよね。
金城ダムは首里城からすぐそこのロケーションに位置している。
首里城から続く、真珠道の一部でもある『金城町の石畳』を下りてきてのすぐそこ(少しは歩くけど)が金城ダムにもなっているよね。
実は、石畳から少し離れた東側にも、首里の高台から下るヒジガービラという別の歴史的石畳道もあって、
そこから同じように坂を下っていくと突き当りの道路挟んで金城ダムのちょうど真ん中に突き当たる。
そこが先ほど伝えた金城ダムの上池と下池のちょうど真ん中。その2つの大きな池の間は人が通れるようにもなっていて、風情あるダムの間を歩いていくとそこには『ヒジガー橋』という琉球王朝時代の石橋が掛かっているわけなんです!17世紀頃に掛けられたのではないかと言われている立派なアーチ型の石橋。
その石橋に掛かるちょい手前も歴史深い石畳になっていて、この橋とこの石畳が『ヒジ川橋及び取付道路』として『県の指定有形文化財』に指定されているんですね〜。
これがでーじカッコいいんだ(´∀`)♪ 琉球王朝時代にタイムスリップしたかのよう♪
実はここにこそ金城ダムを二つに分けた理由があって、新たなダムを建設する際においても、この文化財である橋をしっかりと保護・保存するために、敢えて橋の上と下に2つの別々の池を作ったというわけ。
もちろん上池と下池は大きな水門で繋がっている。しかし大きく時代を経てなお、その石橋の下にもしっかり別流の流れを導き、琉球の時を感じさせてくれるのだ。
その新旧を楽しませる設計がまず素晴らしい。
で、池と池の間にあるもんだから、両方の池が前代未聞の大雨で満杯になったら橋も沈んでしまうのではないか?という心配もあるかと思うけど、それもDon’t Worry!
なんと、ダムの天端標高(ダムの中で一番高い部分)と橋が掛けられている部分の高さが同じになるよう設計することで、どれだけ水かさが増しても、ギリギリのところで水は橋側へは溢れず下に逃げていく構造となっているのだ。
しっかりと文化財との共存も考えて設計されているんだね〜♪
じゃ、この橋を渡った向こう側には何があるのか、何があったのか、ということなんだけど、それは今も昔も変わらずで皆さんもご存知、一旦識名霊園を抜けての、世界遺産にも登録されている『識名園』へと続いているんです。
そう、この道は王朝時代に首里から王家の別邸でもある識名園へ向かうための道でもあり、先人たちもこの橋を渡って行き来をしていたんだなと思うと、ロマンが爆発ですよね〜(´∀`)
ヒジガーという名前の由来は、その坂の途中にヒジガーという湧き水が湧き出る井戸があって、その井戸に滴る鍾乳石がヒゲのように見えたことからヒジ(ヒゲ)のカーで『ヒジガー』と名付けられたんだとか。
で、そのヒジガーのある坂道なので『ヒジガービラ』、そして石橋の名前も『ヒジガー橋』と名付けられたんだと。
逆にヒジガービラの坂を首里に向けて登っていくとどうなるか、今で言う所の崎山町の雨乞い御嶽、御茶屋御殿跡に着きます。いわゆる識名園が首里城の南に位置する南殿と言われたのに対しての、東の御殿である東殿『御茶屋御殿』ですね♪
ただ、現在そのヒジガービラは一部土砂崩れが起きてて通行不可能となっているので、、修復されるまではダムの中のヒジガー橋を見て楽しんでもらえればと思います。
さらにさらに、金城ダムはこういった琉球王朝時代と深い深い関係にある歴史的ロケーションに存在するということを踏まえて、単なるダムという存在ではなく、その全体的な景観も琉球をかなり意識した造りになっているんです。
水を堰き止めておく巨大な堤体には琉球石灰岩を石積みしたかのような石張りが施されていて、まさに見事な首里城の城壁をイメージさせている。
さらにダム敷地内には、展望広場というちょっとした公園的な広場もあって、その造りがまたそれこそグスク!
おそらく、首里に観光に来られた際には、首里散策しながら自然豊かなダムで一息ついて、そこでも大いに琉球を感じて欲しいなという想いからなのかなと思うわけ。
というようにね、近代の技術を結集して、古来からの問題であった安里川の氾濫を収め、さらには歴史的文化財もしっかり残しつつ、現代では人々の憩いの場として愛される『金城ダム』!
ぜひ、遊びに訪れてみてください♪
放送後の一枚は〜
もちろん!
ん〜マンダム!
ワワワワケンロー!
E.KEMURA
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