Invisible RYUKYU 第64回目は『中城城跡:グスク史上ナンバー1波乱万丈なお城かもよ!』

Wandering Okinawa!

連休明けだぜロックンロール!!

飲み過ぎ食べ過ぎ胃が病むん!!

ということでね、連休中はブログもすっかりお休みさせてもらってね、ほんと飲むわ飲むわで、ビーチで飲みBBQで飲み、親類と飲みイベントでも飲み、と、、昨日はさすがの胃の痛さに本気で飲めん!と、数年ぶりの断酒デーやたんど!

そんなある意味病み上がりな本日も、ロックンロールチューズデーやってまいりました!!

まさかのコーナー入りボスアカペラシリーズは、かぐやひもの『動物の歌』で入らせてもらいました!

ラジオでも伝えたけど、沖縄を代表する『かぐや姫』オマージュグループ? 『かぐやひも』のギタリストこと『にせしょうぞう』氏はワタクシ・ボスイケムラの従兄弟であるんです(^^:

さらに、今日のSh@re TIMEの放送前パーソナリティー動画が動物園で童心に帰るの図ということもあって、ワタクシも童心に帰って『動物の歌』を歌わずにいられなかったという次第です。ロックンロール!!

今週からは先週までの特集『北中城村』に対抗しての『中城村』を特集しておりまーす!!

北中はね、もう知る人ぞ知る史跡や見所たっぷりな場所で、そこに対して中城は、、と思いがちですが!?

やっぱ調べれば調べるだけ面白いスポットあるんでね、数週に渡ってお届けしたいと思います(´∀`)

中城村

実は北中同様に人口が凄い勢いで増えている村でもありまして、2016年週刊ダイヤモンド調査の『日本全国勢いのある街ランキング』では、10位以内に6つの東京の都市が占める中、県内唯一のトップ10入り!

もの凄い快挙!

さらに2018年現在の人口の多い村としては、日本1位の読谷、2位の茨城県東海村に次ぐ日本第3位!

人口密度の高い村としては、お隣北中に次いでの第2位!!

人口増加数では全村中第1位に耀いている!

大きな理由の一つには、琉大が1984年に現在地に移動してきたこと、90年代に入り南上原地区の土地区画整理事業が活発化し、南上原を中心に特に20〜40代の比較的若い転入者の数がかなり右肩上がりで上がっている。

それだけ若い街、パワーのみなぎる街であるとも言える。

現在の琉大の場所になってからの琉大生とか、琉大付近によく遊びに行ってたちょっと前の世代の人たちは、あの変貌ぶりに驚愕すると思う。

それを見るだけでも中城エリアを訪れる楽しみがあると思うので、ぜひ時間あったら訪れてみてほしい。

そして中城と言えばまずのまずは!

ここは伝えとかなきゃ村民に怒られるだろう〜という見所の『中城城跡』!

かなりフォルムもカッコいい!!

かなりフォルムもカッコいい!!

こちらはね、先週お伝えした『中城公園』とはまた逆で、北中と中城の両村に跨っているものの、史跡の住所としては中城村の管轄内にある世界遺産。

中城城跡と言えば、勝連城の紹介の時にもある程度お話はしているので、詳細までは割愛するとしても。

その勝連城主、阿麻和利に撃たれた忠臣護佐丸が、どれだけの築城の名手だったかというのが分かる立派な城跡なんですよね。

美しいアーチ門

美しいアーチ門

大きく分けて、琉球のグスク後には3つのタイプの石積み方法がある。

1つ目が『野面積み』と言って、単に自然の石を積み上げて城壁にしてしまう積み方。最も古い技法。

2つ目に『布積み』という積み方で、石をある程度四角い形に切り分けて、高さを合わせてブロック状に積んでいく技法。大きい石を積んでいけることによって、より強固な仕上がりになる。

3つ目が『相方積み』という技法。石を多角形に加工して、互いに噛み合うように積むことで、強度と耐久性に富む積み方。護佐丸の時代に築いた、増築したとされる中城城の三の郭と北の郭に見られる。これが1440年代の頃。

グスク上からの景色もサイコー!

グスク上からの景色もサイコー!

その後、護佐丸・阿麻和利の乱で護佐丸一族は制圧されて中城城は王府直轄のグスクとなり、王族によって管理され後に一の郭に中城間切の番所が置かれる。

また、1853年にペリー提督が日本開国を求める中継地として琉球を訪れた際、中城城にも立ち寄って測量を行い、この城壁、特に裏門のアーチ門の見事なまでの造りに驚いたという。

これがペリーが絶賛した裏門

これがペリーが絶賛した裏門

そのスケッチが『ペリー提督日本遠征記』の中にも掲載されている。

その後琉球処分・廃藩置県に伴い、中城城跡は中城小学校にもなり、敷地内に中城役村役場も置かれた。

しかし第二次大戦で役場も消失し、無人の城跡となる。

ただ、他のグスクに比べて戦禍の被害も少なく、県内でもっとも原型をとどめていることで有名です。

戦後、琉球民政府によって城跡を公園化することを命ぜられ、1950年には中城公園が開園! 今と同じ名前!

その公園がファンキーで凄い!

小規模とは言えど、観覧車やロケット型回転遊具など、当時としてはかなり斬新な遊具があの敷地内に存在していた。

ご、ゴイスー!!これ、中城城跡の中だよ(^^;

ご、ゴイスー!!これ、中城城跡の中だよ(^^; (沖縄県公文書館所蔵)

また動物園も併設していて、ゾウやキリン、ライオンまでいたそうな!?

いくつか写真も残ってる。

城跡に動物園、、斬新! (沖縄県公文書館所蔵)

城跡に動物園、、斬新! (沖縄県公文書館所蔵)

その後1950年代後半に琉球政府文化財保護委員会により、中城城跡が特別重要文化財に指定される。

1960年代頃からグスク跡石垣修復事業が開始され、徐々に遊べる公園ではなく史跡としての公園として位置付けられていったんだろうなと。

で、1972年の本土復帰に伴い、国指定の史跡となり、92年に中城村・北中城村へ管理が移管される。

2000年には琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録され、2006年には日本100名城にも選ばれることとなる。

という、かなり波乱万丈な時代背景を持つ中城城、隣には県内でも有名な廃墟も存在するが、恐らくはこういった怒涛の時代の流れに取り残された形の名残なんだろうなと思う。

ここに関しても実は面白いネタがあるんだけど、それは余裕あれば次週あたりの補足的なネタとして紹介したいと思います♪

今では村の祭りはもちろん、城壁を使ってのプロジェクションマッピングを行ったり、この間はスタレビのコンサートであったり、クレイジーケンバンドやミーシャのライブも行われたりもしましたよね! ここにもパワーみなぎる感が感じられますよね♪

これも斬新、世界遺産の城壁をプロジェクションマッピングに♪

これも斬新、世界遺産の城壁をプロジェクションマッピングに♪

みなさんご存知の『中城城跡』、実はこんなに波乱万丈なグスクだったんだぜ!というお話でした(´∀`)

恒例放送後の一枚は、3人で『護佐丸』を表現、5,3,0とな!

530ロックンロール!!

530ロックンロール!!

ワワワワケンロー!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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