Invisible RYUKYU 第61回目は『北中城の知られざる歴史 x ライカムヒストリー』

Wandering Okinawa!

1、2、3、シージャー!

5、6、7、ヤッケー(´∀`)

今日も大兼のぞみにリスペクトを込めて!

でーじパクりんこなこんなテーマソングでコーナー入りしました〜♪

そのタイトルの名は『ヤッケーシージャー』!

まさかひゃー(゚д゚;)

いやいや、ウチナーは今シーミーシーズンに入ってますからね♪

大兼のぞみの『Let’s清明祭』も楽しんでいただけたらと思います♪

大兼のぞみ with.DJレイコ「Let's清明祭」

ダーさんからもしっかりツッコミ頂きまして、無理くりやりきった甲斐ありました( ´¬`)

ラジコでも追っかけ再生どうぞ!

(何のことやらという方の為に念の為、こちらの大兼のぞみさんこそ、Invisible RYUKYUでワタクシボス・イケムラのお相手をしてもらってるパーソナリティーの1人、ダーさんです)

ということで〜今週のインビジブルは!

『北中城村の知られざる歴史 x ライカムヒストリー』と題してお届けしました〜!

そもそも北中城村と中城村がなぜ両隣に存在しているのか? 似た名前だし村同士合併してもいいのではなどと思いがちだけど、結構な理由があってこそなんです。

世間ではそこまで詳しくは知られていないのではないか、やっぱ少なくとも県民なら知っておく必要があるかなと思いテーマにしてみました。

実はこの両村もともとが一つの『中城村』で、世界遺産にも登録されている中城城跡があることからも分かるように、琉球の時代からかなり重要なポイントだったことは分かる。

第一尚氏時代、急激に勢力をつけてきた勝連の阿麻和利を牽制する為に、尚泰久王によって護佐丸が座喜味から中城に移され、もともと存在はしていたと言われる中城城を増強し、グスク群の中でも美しい石積みを見ることができる城である。あのペリー提督が絶賛したと言うから当時から相当な技術を持っていたと思われる。

そんな歴史上重要なポイントでもある中城が、なぜ今北中城と中城なのか。

そこには又しても先の大戦の影響が大きくあったのである。

米軍の本島上陸後、沖縄はあっという間にアメリカの占領下に置かれ、各地に米軍施設や収容所が設置されることになる。

中城村もその多分に洩れず、村内に大規模の米軍施設が設置され村内が南北で分断され行政的統括にかなり支障が出るようになっていた。

同じ村内なのに、隣の字まで行くのにかなりの時間がかかったり軍施設を挟んで公務を行うことが困難になった。

そこでやむなく村北部の12行政区が新たな自治体として、昭和21年の5月に『北中城村』を誕生させることになったのである。

その北中城村は今や人口密度日本1高い村、人口の多い村日本5位、女性の長寿ナンバー1を確立しているのである!

さらに今や北中の代名詞にもなりつつある、イオンモール沖縄ライカム!

あんな巨大なショッピングモールが沖縄に出来るなんて、夢にも思わなかったですよね。

そのライカムにも実は隠れた歴史があって、30代以上くらいの人間ならなんとなくあ〜そうだったね〜という記憶があるかと思うけど、その巨大なショッピングセンター敷地は以前アワセゴルフ場と言って、米軍が作った米軍のためのゴルフ場だったのよね。

今では県内にいくつものチャンピオンコースもあるけど、アワセゴルフ場が県内初のゴルフ場だったとのこと。

覚えている人も多いと思うけど、ライカムと徳洲会病院の間の道、沖縄市の比屋根まで下りて行く道の両脇はもともとゴルフ場施設で、ボールが飛んでこないように網をかけるための高いポールもずらっと立てられてたよね。

たっまたま撮ってた写真があった。もう10年くらい前じゃね??

たっまたま撮ってた写真があった。もう10年くらい前じゃね??

この写真もアワセゴルフ関係だったと思うんだけど、、確証得られず。。

この写真もアワセゴルフ関係だったと思うんだけど、、確証得られず。。

もっと言えば、そのゴルフコース崖下を通れる道もあって、ボールが飛んでこないように網で囲まれた?包まれたような道路もあったよね(^^;?

そしてゴルフ場跡にできたのがライカム。

このライカムという名称にも隠れた面白い歴史がある

これも知ってる人は知ってると思うけど、沖縄あるある的なカタカナ読みする地名ではなくて、

戦後米軍統治下時代に、このエリアに置かれていた 琉球米軍司令部(Ryukyu Command Headquarters)という米軍施設名に由来しているんだよね。Ryukyu Command で略してRyComライカム。

当時のRyukyu Command Headquarters、今もBldg.1 として石平交差点のとこにあるよね。(沖縄県公文書館所蔵)

当時のRyukyu Command Headquarters、今もBldg.1 として石平交差点のとこにあるよね。(沖縄県公文書館所蔵)

カラー版 (沖縄県公文書館所蔵)

カラー版 (沖縄県公文書館所蔵)

近くには当時ライカムハウジングというハウジングエリアもあって、今も別名(プラザハウジングという名前)でライカムの向かいに存在している。

さすがに今の時代に琉球コマンドという名前は政治的すぎて使えないと思うけど(コマンドっていうと統治とか支配などの意味もあるので)、不思議なもので当時の施設の短縮名から後にライカム交差点という名前の交差点ができ、そしてライカムショッピングモールへと名前が受け継がれていった経緯。

ライカム着手当時、毎週のように写真撮ってたな〜

ライカム着手当時、毎週のように写真撮ってたな〜

喜舎場の高台から撮った一枚、まだライカムは建ってないころ

喜舎場の高台から撮った一枚、まだライカムは建ってないころ

これもおそらく右側がアワセゴルフ場時代に撮った写真

これもおそらく右側がアワセゴルフ場時代に撮った写真

さらに今年の秋頃から正式に、ライカムエリアは北中城村字ライカム何番地という呼称に変わっていくらしい。今は北中城村アワセ土地区画整理事業区というややこしい番地になっている。

なんとも日米のチャンプルー文化だよね。

で、先の話に少し戻るけど、中城が分断された背景に米軍施設の設置という話があったけど、その米軍施設の中にはやはり学校施設もあって、今ではキャンプフォスターの中に移ったんだけど、もともと中城の久場エリアにあったのが久場先ハイスクール。

バスケ好きな人なら知ってると思うけど、米軍内でもバスケットのレベルが昔から高いらしく、近隣であった北中城高校とも交流親善試合などを行ってきた。北中城がバスケット強豪エリアになっていった背景にはその事実が少なからず結びついているだろうと。

北中城高校 1994年 全国高校総体で準優勝の経験!沖縄高校総体でも常に上位の強豪校。

北中城中学校も全国中学体育大会で優勝を経験している。

ついこの間、西地区の優勝を決めた我らがゴールデンキングスには北中城高校出身がたくさんいる。岸本キャプテン、金城選手、今は離れてしまったけど与那嶺翼、そしてレジェンド沢岻兄弟!他にもBリーグで活躍している北中出身は数多い!

このように、商業エリアとして、居住エリアとして、歴史的史跡もたくさんあるし、スポーツも盛ん!

今後の北中城がますます楽しみですね!

放送後の一枚は、アワセゴルフ場に関連させて3人でゴルフショットの連続写真風!

チャーシューメーン!てか!? ワワワワケンロー!

チャーシューメーン!てか!? ワワワワケンロー!

ナイスショット!次回もお楽しみに〜!!

ワワワワケンロー!!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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