Invisible RYUKYU 第50回目は『桜の名所【名護】は首里をも凌ぐ首都になり得た!?』

Wandering Okinawa!

チェリーブロッサムロックンロール!!!

まままさかの本日インビジブル、ボス・アカペラコーナーでは!!

ワタクシの母校、『名護小学校』の校歌を公電波で歌ってしまうという暴挙!!

何人くらい気付いたかや??

でも、今年の正月に26年ぶりの同期会に参加してラジオ出てるよ〜って教えても来たから、もしかしたら聞いて吹き出した名護ンチュもいるかもや(´∀`)

して、校歌の歌詞、今改めて読んでみるとスゴい素晴らしい!! 作曲も宮良重包先生だったのね!?

30年の時を経て感動する!

いちおう今日歌ったパート載せておこうや〜(´∀`) 歌詞二番だけど。いやー小学校の時こんなの歌ってたんだと今さらながら感動!

覇を北山に 競いたる

按司の拠りし 名護城

古き歴史の かげおいて

心雄々しく 気は高く

いざいざはげめ わが健児

実際の校歌聴けるサイトもあったよ!

明日からは宮古でもFM聴けるようになるとかで?? さらにワタクシの公電波を使ったおふざけが島を渡ることになりますな〜♪

楽しみ!

さて!早くも1月後半、沖縄では桜祭りの季節になってきましたね〜!

八重岳ではすでに始まっているし、今週末には名護、そして今帰仁も始まりますね!

昼にFBで桜祭り情報発進したら、やっぱりみんな好きなんだね〜!

なかなかの反応見せてくれています♪

こんな感じ♪

お祭りで出店される皆さん、ぜひ外国人も対象に巻き込んでサービス展開してみてくださいね(^^)

と、桜祭り、沖縄では北から南下してくるというのが当たり前で何とも思わないかもしれないけど、本土に住んでみたと考えてみて?

桜前線というのは南から北へと移動して、3月、4月の卒業や入学シーズンに満開になる。もっと北だと4月末だとか北海道あたりでは5月になることもあるみたい。

あ、そう言えばそうだよね? あれ? じゃー、なんで沖縄は北から南下してくるの?

これを調べてみると、やはりまず桜の種が違うらしいね。

沖縄はヒカンザクラ、本土はソメイヨシノ。

どちらも夏の間に花の芽をつけるんだけども、一旦休眠させてある一定の寒さの合図で起きだすんだと。それを休眠打破と言う。

ヒカンザクラは10〜15度くらいの寒さで休眠打破して、起きた順に開花していく。なので早めに寒くなった場所の方が早めに休眠打破してどんどん咲き始める。北部と那覇辺りでは温度差が違うのは実感できるじゃん(^^;?

で、本土の方のソメイヨシノは、休眠打破という仕組みは同じだけど、5度ほどの寒さを感じ取って初めて休眠打破するらしい。その後一定期間を置いて暖かさと供に開花していくと。なので暖かい方から寒い方へ向かって前線が流れるんだと。

ブーメランみたいなイメージかな?

そういうこともあって、八重岳からスタートするというのも納得、なるへそーという感じですね♪

と、名護の桜祭りは花見もそうだけど、名護十字路から名護城までのお祭りムードがすごいよね!

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ほんっと半分くらい外国人なんじゃね!?と思うくらいすごい数なので、ぜひ意識して見てみて、そして彼らにとっても楽しんでもらえるようなウェルカムンチュなお祭りにしていけるといいですね(^^) 

露店など出店されている業社さんなどいたら、まず騙されたと思ってこっちから声かけてみて♪ 確実に売上上がるから(^^)

で、名護と言えばで思いつくものに、『名護のひんぷんガジュマル』があると思う。

ちょうどアーケード街に入っていく入り口に鎮座しているどでかいガジュマルね♪

だいぶ支柱などのサポートが必要になってきてるね〜。

だいぶ支柱などのサポートが必要になってきてるね〜。

このヒンプンガジュマルにもまた面白い琉球ヒストリーがあるので紹介してみました(^^)

『ヒンプン』というのは、沖縄の人なら分かるよね?

昔の家の入り口の、門の代わりというか目隠しというか、つい立てのような壁ね。魔除けの意味もあったらしい。

右から入るか左から入るかでも決まりがあったというね。

で、昔、名護のエリアに入る際に、いわゆる名護の入り口にヒンプンに似た大きな『石碑』が建っていてそれをヒンプンシーと言った、で、そのガジュマルがヒンプンしーの横に立っているのでガジュマルでヒンプンガジュマルと呼ぶようになったと。

樹齢250年とも300年とも言われているガジュマルで、そう考えるといっろんな沖縄を目の当たりにしてきた樹ということが言えるよね。

ただ、特にこの碑を気にも留めなければ、この歴史あるガジュマルのことを何かしら説明している碑文なんだろうね〜と思ってしまうかもしれないけど、

実はこの碑にこそ今日のキーワード『名護は首里を凌ぐ王都になりえた!?』という話に結びつくキーワードがあるんですね〜。

この碑は通称『ヒンプンシー』と呼ばれているんだけど、正式な名前は『三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ)』と言うわけ。

ヒンプンシーこと『三府龍脈碑』

ヒンプンシーこと『三府龍脈碑』

『三つの府』というのは、沖縄の『国頭』、『中頭』、『島尻』の3つ。

この3府は3つ一体で初めて意味を持ち、それは一体の龍の体に例えられる。それを切り離す事は断じて許さん。と石に書かれている。

あの琉球史上最強の政治家と称される『蔡温』が記して建てた碑だというわけなんです。

てことは誰かが琉球の国を切り離そうと考えたわけだ。

時は1750年ころ、当時首里と北部の間で揉め事が重なり、首都を名護に移そうという大計画(クーデターのような)が持ち上がったらしい。さらに名護の港と羽地内海まで結ぶ運河を作ってしまえば、より海上の利便性が向上するなどで国が潤うと。

しかしそれに反して、蔡温は上記のように、琉球は島全体で龍の生命体であり、そこを切り離してしまうのは言語道断!

さらに風水で調べ上げた上でも『首里』こそが王都であるべきだ!自然が作り出したあの首里の造形こそが国を豊かにしてくれる!と、この碑に強く書き記し、名護遷都論を固く封じ込めてしまったという話なのである。

この内容にも諸説あって、いろんな陰謀説も囁かれてたりもするけども。

そりゃー歴史は全て、その時その時の情勢やいろんな事件が積み重なって出来上がるもので、今こうやって首里城初めいろいろな特徴ある琉球王国の歴史が観光資源にもなっているけど、もしかしたら名護が王都になっていた可能性というのは、結構低くなかったんだなと思わされるよね。

名護ンチュであるワタシから言えば、いや名護は名護であって欲しい。今はホント難しい問題ばっかりだけど。。

でも幼い頃には、あのどこか都会になりきれない、だけども北部では唯一の『シティーボーイ』であるという妙な立ち位置が良かったんだよなと思う。

ぜひね、名護市民はね、今一度ガジュマルの木の下に行ってみて、もしもこの碑が建たなければ名護が沖縄の県庁所在地になっていたのかもしれない、森高千里の歌も変わっていたのかもしれない、ということを感じてみてほしいなと。

それがアナタにとって良い事になったのか、もしくはそうならなくて良かったんだと思うのかとかね。

そんな名護への愛情を語った回になりました♪

放送後の一枚は、英会話レッスンで取り上げた、「Say cheese!」ポーズ!

ワワワワケンロー!!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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