Invisible RYUKYU 第12回目!コザ最終回、コザバンザイ!

Wandering Okinawa!

さ〜!実に3週にも渡ってお届けした『コザ特集』が遂に前回で最終回を迎えました!

本日は、先日のラジオでは伝えた部分をまとめながらフォローアップしていこうと思います♪

radikoでも1週間は聞けますよ♪

まず、先週までにコザという名に至るまでのヒストリーをお伝えしましたね(´∀`)

で、コザという名になってその後どうなっていく、というとこまでお伝えしたかったんですが時間足らずに。

今週の放送ではそこからお伝えしました♪

戦時中、日本軍の中飛行場として造られた陸軍航空基地は米軍の沖縄本島上陸後にあっという間に占領され、すぐさまアメリカ軍の大型軍機が離発着出来るよう拡張整備が進められる。

それが後の嘉手納基地となるわけなんだけど、もうこの時点でその場所がこの先米軍の駐在基地となることはほぼ明らかなわけなんですよね。

さらに、時の世界情勢は朝鮮半島の緊張状態もあり、各国が国を挙げて軍事力増強に力を入れている時代。

嘉手納基地もその国際的な立地性も手伝って、朝鮮半島有事に備えどんどん増強されていく。

ここに後々『キーストーン(要石)』と称される極東最大の空軍基地、嘉手納基地が誕生するのである。

となるとそれに伴い、その周りでは軍事施設建設作業、軍作業、米軍や日本人作業員相手の飲食、娯楽、ビジネスなどなどが大きく盛り上がっていく。

沖縄全土、離島や奄美、県外からも自ずと人が集まり巨大なマーケットが形成されていくわけなんですね。

沖縄とは思えない風景ですな!(写真:沖縄公文書館)

沖縄とは思えない風景ですな!(写真:沖縄公文書館)

ただ、時代が時代、当時の沖縄はアメリカの占領地であり、占領地下の人民には人権というものすらあったかどうかというところ。

明日死ぬかもしれないという軍人の精神的な部分も手伝ってか、夜な夜な酔っぱらった軍人たち、理性を欠いた軍人たちの市民に対する強姦・暴挙が後を絶たなかったという。更に、時代が生み出すこういう状況下での自然発生的に生まれる『売春』という行為が、あまりに表立って行なわれるようになり、風紀上としての深刻な問題にもなっていた。

そこで、地元としては軍に要請を掛け合うが軍としてもそのような時代背景、血気盛んな若者の欲求を簡単にコントロールできる術もない。

そこで軍および地方の協議の上、止むなくの対策として軍人たちの娯楽と称する『特飲街』が置かれることになる。いわゆる黙認の『風俗街』である。

それが『ニューコザ』と呼ばれた『八重島』であった。

当時の八重島はそれはそれは煌びやかで、通りには130もの飲食店、300人以上の女性が働く『不夜城』と言われるほどの街へと変貌した。

しかしこれまた時代が時代、やみくもに作ってしまった風俗街、整備や監視がきちんと行き届いておらず性病や感染症が大きな問題となってくる。

軍としては衛生面、軍人への感染症拡大は戦力の低下につながると危機感を抱き、八重島への厳しい衛生検査を課し、代わりにB.C. Street (後のパークアベニュー)の整備を進める。ここも越来村と協議をしながらとのことではあるようだ。

そこでは徹底した衛生検査を義務化させるべく、あの『Aサイン』(Approved Sign)が登場することになるのだ。

その後、八重島は徐々に廃れてしまい、B.C. Street がメインストリートとなるがここでもまた問題が。

当時はアメリカ本国でも人種間問題が大きな問題となっていて、沖縄の駐留アメリカ軍においても同じであった。

同じ軍人という組織の同僚なはずなのに、やはり相当な軋轢があったんだろうね。

基地の外に出て酒でも入れば双方のケンカ、暴動が耐えない。

そこでお互いに棲み分けエリアが自然発生的に生み出され、白人が城前、住吉あたりから後にゴヤ、ゲート通り近辺へ。

黒人は照屋地区、今のコザ十字路近辺で集まり黒人街を作り上げる。後の銀天街はここから生まれるわけである。

そこでもやはり風俗という商売は出来上がり、今でもその建物などの名残が八重島同様に見て取れる場所である。

今にも残る八重島で最も象徴的な建物、雰囲気ハンパ無いよね。

今にも残る八重島で最も象徴的な建物、雰囲気ハンパ無いよね。

銀天街を抜けた先、この先にもっとディープな通りが現れるよ

銀天街を抜けた先、この先にもっとディープな通りが現れるよ

このように、当時は時代が時代、まさに混乱の時代。何が良い悪いと今の時代の基準で決めつけることはできない。

生き延びる為の術だったかもしれない。全てを奪われ、男手も戦争で亡くし、止むなくその世界に入っていったのかもしれない。

逆にものすごい儲けを生み、一攫千金を得たパターンもあるのも事実であろう。

ただ、そのような事実を事実として受け止め、コザを始め沖縄はこれだけ波瀾万丈、これだけ戦争によって大きく振り回された過去があって今に至る、という認識をし、そこから何かを感じることは必要だと思う。

どんどんと近代化が進み、このような史跡とも言える戦後を偲ばせる建物もおそらくあと10年、20年は持たないだろう。徐々に取り壊され新しい街へと生まれ変わるはず。

だからこそ、これらを生で目に焼き付けられる最後の世代になるであろう我々は、その場所その雰囲気をしっかり自分の目で見て肌で感じて何かを受け止めてもらいたいなと思う。

そんなコザ! 複雑すぎる時代背景を経て尚、今でもその雰囲気を残しつつノスタルジックでアメリカンでロックンロールな街として輝きを保っている。

どうですか!?

こんなロックンロールな街、そうは無いですよ!?

ぜひ、このような時代背景も踏まえながらコザの散策をしてみてください(^^)

コザバンザイ!!

ワワワケンロー!!!!!

たまには媒体の宣伝も!ということで背中のデザイン推し!ワケンロー!

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*上記、若干認識を誤ってる箇所もあるかもしれませんが、大まかな時代背景を知る上での歴史認識を大前提の目的ということでご了承を。


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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