さー、北部キャンプ二日目は!東村からまた西側へ戻り、塩屋湾を経由して前々から行きたくて行けてなかった大宜味村の『根謝銘グスク』へ!!
これまで何度もボスイケ持論でお伝えしているけど、舜天王統の三代目『義本』はなぜか『英祖』に禅譲し、自身は北部または中城へ隠居したと伝わっている。
故に国頭に義本王の墓があるというのも納得がいく。(中城にある説もある)
ワタシ的には国頭隠居説が有力ではないかと思っていて、その隠居した義本一派が国頭に築城したのが『海東諸國記・琉球国之図』に見える『国頭城』ではないかと思っている。
この図に描かれる『国頭城』は、同じく『琉球国都』と描かれる『首里城』と見てほぼ間違いない城域と遜色ないほどに立派に描かれている。
こんなスーパー重要なグスクの跡が何も残っていないのは考えられない。
そして位置的にも、時代的にも、大きさ的にも、この『国頭城』に符合するのは『根謝銘グスク』しか考えられないのではと思っている。
大宜味間切は、近世になって国頭間切と羽地間切の一部を分割して新設された間切。なのでこの絵図の頃には根謝銘は国頭間切だったことも間違いない。
などなどと期待しながら訪れたら、看板にも思いっきりこう書かれてるやし🤣
上城(根謝銘城跡、国頭城跡とも言う)んり🤣!
早速入ってみると、ノロ殿内あるわ、火ぬ神あるわ、按司墓あるわ、アシャギあるわ、御嶽もあるわ!
綺麗に整備されているけど、一人で行くと少し不安かも。出来るだけ二人以上で訪れた方が無難ね(ハブなど)
中腹にはこれまた、はい出たー!
『中城御嶽』!
そして最上地には、はいそうきたー!
『大城御嶽』!
どちらも中城に関係するよね〜、大里にも関係するよね〜。舜天王統にもでーじ繋がるよね〜!
間違いなくスーパー重要な城だったわけでしょ。
おそらくその当時からの石積みや地形も残っていて、このグスクをひも解くことができたその時!琉球の歴史は大きく動き出すんだろうなと確信したよね。
いやー、シビれた!
Rockin’ Ryukyu をビリビリ感じた!
ますます追いかけていくぜー!
ワワワワワケンロー!!
宮城新昌さんのネタは過去記事で確認お願いします。
E.KEMURA
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