Invisible RYUKYU 第161回目は『おもろまちスピンオフで上之屋〜泊〜安里インビジブル』

Wandering Okinawa!

泊のトットロトットロ〜

ターがトットローよ((*゚Д゚)!

ワワワワケンロー!!!

ということで、今夜もやり切ってまいりました3月最後のインビジブル!

ということは、今年度最後のインビジブル!

ということは!? 今日もスタッフからは特に来週からどうなりますとかも聞いてないし、4年目に突入〜!?

出演は週に一回のペースだけど、タイトル通り、もう161回目になるんだよね(^^;

これからも琉球沖縄のインビジボーをお届けしながら、みなさんに今以上に沖縄のことを好きになってもらって、興味湧いてもらって、これからの沖縄がもっとよくなるように繋がっていくといいなと思います!

ということで今夜のインビジボーは!

おもろまち&新都心・旧マチナトハウジングシリーズ第三弾!

上之屋、泊、安里エリアのインビブルを紹介してまいりました♪

そうです、ここに『泊のトットロー』がかかっていたんです!

この3つのエリアには、戦後旧マチナトハウジングの南端あたりが存在しており、集落とベースとがフェンス一枚で隔てられていた場所であった。

なのでここも、おもろまち界隈の特徴として、新しい街並みと古くからの街並みが混在するエリアとなっている。

まず、上之屋には以前にもお伝えした58号線からほど近い巨大水タンク泊配水池があります。元々その地には泊浄水場があって、その跡地に泊配水池が出来たことをお伝えしました。

この巨大タンクも安里配水池と似たように、高台の上に建ってるので気を付けてないと見落としがち。

そのタンクから古い街並みも残る住宅街へと入っていくと、まさに新旧を感じられる二つの公園が現れます。

それがこちら!

タカマサイ公園と黄金宮公園

二つとも名前がまず、スゴいでしょ〜!

まずは、この都心に!?と思ってしまうほど緑が生い茂る『タカマサイ公園』という公園が見えてきます。

ヤガマサイ!じゃないよ。マサイ族でもないよ。タカマサイ!

このタカマサイとは、人の名前で、宮古の人と言われている。

尚巴志が三山統一を行う前、1300年代後半の察度王の時代と言われているけど、

察度が中山王となった頃に、宮古からも中山に従いますと與那覇勢頭豊見親という人物が入貢に出向いた。

その後家臣らと共に泊御殿に住むことになるんだけど、なんと言葉が通じなかったと。。

ただ、一方では察度王の言葉が通じなかったという説もあったりで、個人的には察度王渡来人説(渡来人系説)も無きにしも非ずかなと。

それで、與那覇勢頭豊見親の家臣の一人に言葉を習わせて通訳にした。その人物こそが高真佐利屋という人物で、当時夜な夜な狼煙台に登って、この狼煙台こそが現在の泊配水池、故郷宮古に向かってあやぐを歌ったと言われている。

なりやまあやぐはウチのオバーもよく歌ってたな〜(´∀`)

それで近隣の人々が歌声に感動したのか、この丘のことをタカマサイと呼ぶようになり、現在タカマサイ公園として整備されている。マチナトハウジングがあった時代には、ハウジング敷地内にあった。

公園には御拝所もあって、與那覇勢頭豊見親の子孫であったり郷友会の方々によって現在も綺麗に管理されている。

そこからさらに住宅地へと入っていくと、泊小学校が見えてきて、そのすぐ近くに今度はすごく新しい近代的な黄金森公園がある。

坂の斜面にあるような公園で、この公園を上っていくと上側はもう高層ビルが並ぶ新都心エリアになるわけね。

この公園内にも、黄金森と名付けるくらいだからやっぱ重要な御嶽があって、これがまたかなりのオーラを発しているわけね。御嶽の側には井戸もあって、水の神も祀られている。

やはり当時から水が得られる場所としてすごく大事にされて来た場所なんだろうね。

一説にはこの御嶽が奥武山とか天久の龍神との関わりもあるとかとのことなんだけど、それはまた別の機会に。

この公園もハウジング時代にはハウジング敷地内にあって、とにかくそのまま残っていたのが幸いだよね。

と、この辺りはその昔、高橋町と呼ばれていた。

というのも泊には、琉球で三本の名橋にも数えられた石橋の泊高橋があった。現在もコンクリート製の橋が架かっているけど、当時は木製から石積みの橋に架け替えられて、その高さ故にこの橋を泊高橋と名付けたと。そのあまりの勾配に人力車も人を乗せては渡れない程だったと。

その橋の名前から、町の名前が高橋町となったという話だ。

話を戻して、その黄金森公園を上に上っては行かずに、そのまま道なりに下りていくと泊小学校に差し掛かって、真っ直ぐ行くと崇元寺通りに突き当たるんだけど、小学校の校舎反対側に一本の一歩通行の道が現れるわけ。

泊散策道

その道が『泊散策道』と言って、すごく面白いストリートになっている♪

泊小学校すぐ隣の公園には、泊大阿母拝所も。尚徳王との逸話が残る

道のあちこちから次々と泊に関するレリーフやオブジェが出迎えてくれる!

泊と言えば何を思い浮かべる?

色々あるけど、このストリートを実際に歩くと、あ〜!そうか!それもか!と納得しながら学び歩くことができるわけ♪

まず出迎えてくれるのが、道路枠にペリー提督一行の絵が描かれたレリーフ!

泊外人墓地にはペリー上陸碑もあって、ペリーとの関わりが強い場所でもあるよね。

そうそう、その泊外人墓地近くの泊高校は昔、沖縄水産高校だったんだってね!

そして散策道には他にも、泊高橋が舞台となった歌劇『泊阿嘉』のストーリが描かれたレリーフがあったり、歴代の琉球キングが祀られていたというとても格式高い崇元寺の石門をモチーフにしたオブジェがあったり、空手・泊手の中興の祖と仰がれる松茂良興作も泊の出身でそのレリーフがあったり、はたまた龍柱が建てられている交差点があったりとすごいてんこ盛りストリートなわけ!

では、ここで一つ問題、那覇ハーリーの3チームといえば!?

そう、那覇、久米、そして泊なんです!この3チームが競う本バーリーがメインイベントですよね!

このことからも泊エリアは、昔からとても重要なポジションだったことが分かりますね。

那覇ハーリー3チームの爬竜船オブジェも出迎えてくれる

そしてこのストリート突き当たりを崇元寺方面へ曲がっていくと、ぴったり崇元寺に着きます。

崇元寺跡は戦後、アメリカ人との国際交流センターにもなったみたいだね。石門は今見てもホントにすごい迫力で、歴史を感じる。

で、実は崇元寺から道路挟んだお隣はもうこちらの

安里

安里も大通りではなく敢えて住宅地へ入っていくと、歴史深い建物が立ち並んでいて結構な斜面にある土地なんですね。その斜面上へ上へと向かうと安里八幡宮が見えてきます。尚徳王が建立したと言われる琉球八社の一つですね。

今や二つのタワーマンションが裏手に聳えたち、現代版の龍柱か!と思うほど。

この高台のさらに上は戦後マチナトハウジングエリアとなっていて、今でも少し道を迂回しながらじゃないと高台の上には上がれない。

安里八幡宮にほど近い八幡神徳寺

んだけども、現在その八幡宮すぐ側から上までと続く『はちまんむい公園』が整備されていて、おそらく4月には完成するんじゃないかと思う。

ここが完成すれば八幡宮からそのまま新都心の高台に出て、すぐそこにはシュガーローフヒルと安里配水池、そして目の前におもろまち駅が見えますね。

この現おもろまち駅こそ、ハウジング時代にはシュリヒルズオフィサーズクラブ、またの名を将校クラブと言って、とても格式高い施設だった場所なんです。

ちなみに、現ナハテラスも当時は外資系のリージェント沖縄というホテルで、かなり格式あるホテルだったよう。それがパレスオンザヒルに変わり、現在のテラスグループが買収してナハテラスとなったと。

当時は今のように上側の大通りは無いわけだから、道が出来て大幅に改修して、現在のようにメイン入り口が一階なのか反対側の地下なのかよく分からない構造となっているようだ。

このように、実際に現地へ足を運んで歩いてみると、このエリアが歩んできた歴史というものを肌で強く感じることができます♪

おもろまちから歩いて5分!ぜひ、これらのエリアも散策して歴史の空気を感じてみてください♪

ハウジング時代のおもろまちエリア

ワワワワケンロー!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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