Invisible RYUKYU 第31回目は『旧与那城・海中道路が繋がった奇跡』

ハイサイワケンロー!!

なんだかスッキリしない天気が続いているウチナーですが、、今宵もやりきってきましたよ〜!

エフエム沖縄 Sh@re TIME内、Invisible RYUKYU お聴きになってもらえましたか〜!?

例の通り、ラジコでも遡り再生可能ですので、よければぜひ♪

さてさて、今週からまたワンダラー最新号が発行になりましたので、ラジオでも最新号のネタからお届けしました(´∀`)

先日もお伝えしたように、今回の特集は現在はうるま市の一部ながらも『旧の与那城町』に絞った形で特集を組んでおります♪

あまりに範囲が大きすぎるのでね、、うるま市で括って特集組むと(^^;

で、いざ回ってみると、すげー興味深いね旧与那城!

特に今回は離島にフューチャーして特集組んでるんだけど、その島々の濃い〜こと!

もちろんこれまでにも何度となくドライブなどで海中道路渡って、平安座、宮城、伊計と訪れてはいるんだけど、目的というか見たい場所も定めて行くとぜんぜん違う島の景色が見えてくるのよね〜♪

今回は自分なりにもすごくいい経験というか、いろんな場所を知る事できたし、島々の特徴や魅力を多々感じる事ができたよ♪

まさに離島! 飛行機で飛んで行かずとも、ここにだって宮古・八重山にも匹敵する離島の風景が散在してるぜ(´∀`)

そんなこんなで、今回はおそらく3週に渡って旧与那城町のInvisibleを紹介していくんだけど。

まずのまずは、この橋なくして上の3離島に簡単に行けることはなかった。今でこそ両サイドを海に囲まれた沖縄シーサイドドライブには打ってつけのコースにもなっている『海中道路』にスポットを!

海中道路中程の陸橋上から♪ 向こうに見えるのが平安座島ですね!

海中道路中程の陸橋上から♪ 向こうに見えるのが平安座島ですね!

しかし、この橋ができるまでにはいろんなヒストリーがあり、いろいろと乗り越えてきた苦悩もあったんだな〜。

そんなところを紹介しました。

てことでブログにてフォローアップね♪

実は今の海中道路、あれだけ立派に4車線も構えて沖縄ドライブの上位コースになってるけど、リニューアルが完成したのはついこの間の1999年なんだってね。

さっきのポイントで反対側を1枚。向こう側は屋慶名です。

さっきのポイントで反対側を1枚。向こう側は屋慶名です。

正直、ワタクシは名護のヤンバル出身なので、幼い頃に南下して遊びに行く、親戚の家に行く、ともなればほぼほぼ58号線での南下。

バスにしても20番経由で行くのが当然で、東海岸周りの21番(当時は21番だったと思う)に乗って行くなんてほっとんどない。乗ったとしても勝連までには行かないしね(^^;

ということで、もしかすると北部の人間にとっては、1番縁の無い場所が中部の東側なんじゃなかろうかと思うほどで。

ぜんぜん行く事なかったんですよ。

てことは、海中道路にも行った記憶も無いし、もしかして連れて行ってもらったことあったかもしれないけど、記憶に無いくらいの昔だと思う。

なので、1999年以前の海中道路ってイメージ湧かないし、果たしてどんなもんだったんだろうと。

しかしそこで! なんと県が監修している『海中道路ができるまで』的なムービーがYouTubeにアップされているんです!

初めて見たときは、おぉ〜!!!!と感動でしたね♪ 動画貼っておくので、興味ある方はぜひご覧になってください♪

実際見てみると分かるように、当時は片側1車線の2車線道路。さらに海水浴やら海を楽しむ人たちの路駐で慢性的な渋滞。加えて電柱が林立、潮流が無い為に海水の汚染、などなどいろいろな問題も起こっていた様子。

その問題解決のために、1991年から改良工事を実施、1999年に今のあの立派な道路になったのです。

車線も4車線、ロードパークという大型休憩所、大型駐車場、あやはし館という道の駅、資料館も併設。

マーラン船を模した建物♪

マーラン船を模した建物♪

二階の資料館も充実してるし、海中道路の歴史もよく分かるよ♪

二階の資料館も充実してるし、海中道路の歴史もよく分かるよ♪

さらに大規模の潮流確保のための水路を二カ所設置。その水路上部は実際の橋となっていて、屋慶名側にあの海中道路のシンボルとも言える赤い斜張橋(吊り橋)『平安座海中大橋』、平安座島側に『よあけ橋』。

確かに素人考えだと単純に全部埋めてしまいそうなもんだけど、この二つの橋&水路が確保されたおかげで潮流が生まれて海の汚染もほとんどない。道路の側でもホント奇麗だもんね。

横から見ないと意外とこの橋の構造って気付かないよね。

横から見ないと意外とこの橋の構造って気付かないよね。この橋の下のスペースがあるから潮が双方に流れられるってわけ。

橋すぐ側でもこれだけの透明度♪ 海水浴にもバッチリ!

橋すぐ側でもこれだけの透明度♪ 海水浴にもバッチリ!

その建設作業工程の様子がほんとスゲーなーという内容で収められているので、ぜひムービーも観てみてくださいね。

で、話がだいぶ戻るんだけども、この海中道路、実は初めに本島側と平安座島の間に架かるまでに結構なストーリーがあってね。

そちらもかなり面白いのでラジオでもお伝えしておきましたね♪

まず、勝連半島の屋慶名あたりから平安座島までは、昔からだいぶ浅瀬になっていて干潮時には歩いて渡れるほどであった。そこで、島民は干潮時にその距離4~5kmを時に荷物を持ち、時に子どもをおぶってこの足場の悪い海峡を渡って歩いていた。

すごいご苦労あったようです。時に最後まで渡りきれず遭難者が出てしまう事もあったとか。

で、戦後にはアメリカ軍の払い下げトラックを改造して、海上トラックを運行、海峡を渡るに当たってだいぶマシにはなったがやはり便は悪い。

そこで、島民は自分たちの力で海上道路を作ろうと決起する。1961年のことだった。工事費は島民、島出身者の募金などから。干潮時に島民総出で手にバケツを持ち石を運び、それこそ人力で堤防のような盛り道を作り上げていく。

米軍もブルドーザーなどを提供し協力してくれたんだとか。

みんなの頑張りもあって、半年後その道は1900mまでつながる。しかしその年に襲来した大きな台風によって、壊滅状態に。

もう泣かんばかりの無念さだったという。

その後諦めずにまた1966年に挑戦、今度はコンクリートで作っていくという方法を取ったが島民の力では限界であった。

そんな折りに、アメリカの石油会社ガルフが沖縄に進出して来るという話が浮上。

当初は本島から出来るだけ離れての宮城島・伊計島での石油基地計画だったらしいが、宮城島が反発。そこで平安座島に持ちかけたところ、海中道路の建設を条件に建設に合意。

その経緯があって、今でも平安座島の大部分は石油基地であるというわけ。

一旦決まったら早いもので、島民では10年かかっても成し遂げられなかった悲願の海中道路、それをアメリカ資本の工事ではたった一ヶ月強で道路が接続。

翌1972年には本格開通となる。

それが初めて勝連と平安座島を結んだ海中道路だったというわけ。

深いよね〜(´∀`)

ここまで内情を知ってと知らないとでは渡り方が変わってくるでしょ〜♪

次回渡る際には、是非そのあたりの苦労話も思い出して、今こうやって簡単に渡れる事に感謝して渡ってみましょう♪

Invisible RYUKYUは、あと二回分ほど与那城町のお話をお届けします〜!

毎度の放送後の一枚は、海中道路!だけども潮流水路はしっかり設けてるぜ!の図♪

IMG_1811

来週もお楽しみに~!!

ワワワケンロー!!!


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E.KEMURA
沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字マガジン Okinawanderer の発行、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中!