今宵もテンキューフォーリスニングロックンロール!!
豊見城 Invisibleなネタはいかがでしたか!?
あい!聞き逃したやさに!という方は、ぜひぜひラジコで遡ってお聴きください(^^)
今回はちょいフライングですが、明日発行になるオキナワンダラー最新号から豊見城特集瀬長島編お届けしました♪
こちらで詳細フォローアップしてまいります♪
まず、豊見城、正直ウチらの世代くらいまでは『村』というイメージがまだ強かったりするよね(^^;
村なのにでっけーよな〜(」゚ロ゚)」って。 人口多いのに村なんだよな〜って。
それもそのはず、戦後、豊見城は那覇のベッドタウンということもあって、急激に人口が増えだすわけです。
そして1976年には、日本一人口の多い村のタイトルを獲得!
その後も順調に人口を伸ばし、2002年、このパターンは珍しい例なんだけど、『村』から一気に『市』へ昇格。『町』を飛び越えたんですね〜。
さらにその後も企業誘致や雇用促進を図り、人口は未だに伸び続けている地域なんです。
そんでもって、市に昇格した2002年以降、『全都市成長力ランキング』において、過去16年間で6度ものナンバーワンを獲得! さらにそれ以外の年でも常にトップ10入りを果たすという、紛れも無く成長著しい市なんです!!
豊崎あたり見てたら発展のスピードにビビるよね(^^;
んでも、山間の方へ向かうと未だに長閑な風景が広がっていて、今でも農業も盛んな場所でもあるんですね。
そしてここ最近の豊見城と言えば! 空手会館に瀬長島ですよね〜♪
空手会館はまた次週のネタとして用意してあるのでお楽しみに(^^)
そう、瀬長島はかなりホットな観光スポットになってますよね〜!
ウチらの時代なんて免許取ったらドライブ行く島、くらいのもんだったのにね(^^;
それが今や! もう観光客で溢れ返り、車も大渋滞! 島まで行く海中道路も片道一車線だから、もう渋滞ハマると抜けられない、、、これでとんでもない思いをするほどの場所になってしまってます。
がしかし、その瀬長島にはしっかりと知っておきたい過去もあるんですね。
そちらをメインに本日はお伝えしました。
そもそも瀬長島というのは昔々から神聖な場所で、豊見城発祥の地とも言われている。
アマミキヨの子供が住みだした島だとかでね。そこから豊見城の集落が広がっていったんだと。
で、無人島だったりした時期もあったようなんだけど、とにかく神聖な場所として地元の人に崇められていた。そして子宝岩というパワースポットというのか、子宝の願掛けをする岩もあって、昔から人々がお参りにやってくるような美しい島であった。
なので、昔からウガン所だったり御嶽だったりが数多くあって、今でも多く見かける事もできる。
ただ、戦争が始まりアメリカ軍の上陸が間近になってきたころ、日本軍は小禄飛行場や那覇港を守るべく近辺を要塞化していく。瀬長島も例外無く要塞化の対象となり島の住民が島から退去させられる。
その後の歴史はご存知の通り。明らかな戦況の劣勢にも関わらず、アメリカ軍の日本本土上陸までの時間稼ぎのために沖縄は地上戦の場となり、焼け野原になるまで攻撃され瀬長島もボロボロに破壊される。子宝岩もその時に破壊されたらしい。そしてその後、瀬長島は1946年から1977年までアメリカ軍に接収されてしまう。
住民たちはもちろん島には戻れない。そこで、御嶽や拝所を島の対岸であるアカサチ森という森に移動、豊見城警察署のすぐ隣、今でもこんもりとした小高い森が見える。しばらく経った後、その御嶽たちも合祀という形で一堂に集めて、現在『瀬長拝所』として櫓のような建物が建っている。
今でこそ開発が進み観光客で賑わいの絶えない島になっている瀬長島、しかし過去にはこういった歴史を辿ってきている島なんだということも知った上で、次回にまた訪れてみて欲しい。
と思うワケンローラーなのでした(´∀`)
ィヨロシクワケンロー!!!
E.KEMURA
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