みんな元気かー!
ボス・イケムラ、スタジオに『帰ってきたぞー!』
と、このフレーズでピンときた方はもう、立派なロックンローラーですね(´∀`)
そう、このセリフは永ちゃんがキャロル解散後、矢沢永吉としてソロで、しかもキャロル解散のラストライブと同じ日比谷野音にて凱旋コンサートをした時の第一声なんですね♪
もうシビれる〜!
実は沖縄の緊急事態宣言も解除になりましてね、ワタクシも今夜からスタジオ復帰!
ということで、『ヤフ〜ソ〜ヤフ〜ソ〜男は〜夢を持て〜』という河島英五の『野風増』をパロった後に、
思わずこのセリフで入ってしまったというわけなんですね〜!
ワワワワケンロー!!
やっぱ生の空気感はいいね!先週まではラジオ電波に乗せてるってのに、実は自分の部屋で喋ってるという喋った後の違和感(^^;
そんなこんなで、本日のインビジブルは〜!
浦添続きの『屋富祖、城間、港川』インビジブルを紹介してまいりました〜!
いわゆる浦添の西部部分、米軍施設キャンプキンザーとの歴史的関わりが深いエリアになりますね。
牧港補給地区と屋富祖
キャンプキンザー、別名『牧港補給地区』とも呼ばれますね。
実はこのエリア、もともとは日本軍によって造られた飛行場がありました。南飛行場、または仲西飛行場とも呼ばれていた。
そこが米軍上陸後にあっという間に占領され、徐々に規模が拡大されていき現在の姿になっているのだ。
第二次世界大戦後もアメリカ軍は、激しい世界情勢の観点から沖縄を重要な軍事拠点として抑え、軍事施設も拡大されていく。
キンザーは、アメリカから入ってくる様々な物資を貯蔵、そして各地の米軍基地へ配送するための拠点となっていくこととなり、その施設建築のために現地の人たちが雇われるようになる。
加えて戦後、アメリカ軍によって牧港に巨大な火力発電所が建設されることになる。今の沖電ですね。
その前例のない大型プロジェクトのためにも県内外、国外からも技術者が集められ、どんどんと労働者が集まる地域となっていった。
そういうこともあって、戦後すぐのまともに仕事も無い時代、キンザー近隣には仕事を求めて移住してくる人たちがどんどんと増え、人が増えることでサービス業も増え、那覇に近いことも手伝って一気に街形成が行われていくことになる。
特に活況を極めたのが屋富祖エリアだ。
今でも浦添の繁華街といえば、やはり屋富祖というイメージだろう。
当時から屋富祖への入り口とキンザーのゲート入り口が道路を挟んで対を成し、キンザーで仕事を終えた人々が屋富祖で飲食だったり買い物をして賑わうストリートとなっていった。
当時、屋富祖だけで4つの映画館があったということからも、その賑わいぶりが想像できる。
そうなってくると急激に増える人口に対して住む家が足りず、空いてる部屋を間貸ししたり、家の敷地内に別の簡易小屋を建ててそこを貸したりすることも多くあったよう。
出稼ぎに来る人たちは本島に限らず離島や奄美からも数多くいて、その慣れない土地での日々の生活を支え合おうと、各村々の郷友会が発足していく。
ということもあって、浦添には県内各地、離島や奄美から人々が集まり、いえば多国籍のような街が出来上がっていったのだ。
戦後新しく出来た自治区も多く、団地が多いエリアでもある。
そしてその結果、戦前までは農村であった浦添が1970年、一気に『村』から『市』へと昇格を果たすのだ!
また、米軍にとっても戦後この近隣エリアは特別な場所となっていく。
それがマチナトコマーシャルエリアだ。
マチナトコマーシャルエリア
現在港川のカーディーラーが立ち並ぶ58号線からイバノ、そしてブルーシール、沖銀や琉銀の牧港支店があるあたりまでは、米軍人に向けたサービス展開のための外資系商社が軒を連ねるまさにアメリカンな景色が広がる一帯であった。
建築関連会社はもちろん、自動車会社、保険会社、テーラー、フィルム会社、洋酒メーカー、バヤリースなどの飲料メーカーなどなど。
現在でもブルーシールなどは当時と同じ場所で営業をしてるし、本土復帰に伴って外資系が撤退していった後も、日本の大手企業や製造業が軒を連ねるエリアというのは今も変わらず。
マクドナルド沖縄一号店も実は牧港!
ちなみに『コマーシャルエリア』の『コマーシャル』とは、日本でもすでに外来語として確立されていてCM、宣伝のことですね。
しかしここで言うコマーシャルエリアというのは、宣伝エリアというわけではなく『商業エリア』という意味になります。
似たような言葉で、Eコマースなどに使う『Commerce』がありますね。あれも商業とか交易という意味で、EコマースとはElectric Commerce、それを略してECなどと使っているわけです。
他にも広告のことを『Advertisement』、略して『AD』と言ったりもします♪
近代の浦添・屋富祖エリア
そんな中、時代の変化およびニーズの変化と共に、浦添にも大型ショッピングセンターやスーパーが立ち並ぶようになり、人々の行動は街の商店街から郊外へと向けられるようになる。
さらに、本土復帰を機に道路交通法がそれまでの右側通行から日本と同じ左側通行となったために、大都市那覇から屋富祖へアクセスするには、国道を右折しなければならない必要が出てしまった。
という様々な要因もあり、屋富祖は現在当時のような活況は見られないものの、現在でも浦添一の社交街として人気のエリアであるし、その昭和感が色濃く、そして数多く残るレトロな街だ(^^)
逆にアメリカンレトロが残る、当時のままのアメリカ住宅地を改装した『港川ステイツサイド』も近年人気爆発なエリアだよね♪
ただ、浦添は日頃の大渋滞が問題だった。今も問題だと思うけど。
それでも西海岸道路が開通しだいぶマシになったと思うし、さらには近々キンザー前の58号線は現在の6車線から8車線に拡張されるという。
すでにキンザーの58号線に面した一部が返還されて、道路拡張工事が始まっているよね。
数年後にはまた今とは違った顔になっているかもしれない。しっかりとその今の姿も焼き付けておいて欲しいなと思う。
また、58号線の城間交差点には、これまた妙な角度の交差点があるのをご存知だろうか?
三角定規くらい鋭角に折れ曲がってる交差点。城間交番があるあたり。
あの角度も実はもともと軽便鉄道が走っていた名残である。
そのまま国道から内側に入っていき、パイプラインと交わるあたりには、当時の軽便鉄道のレールと英語でも書かれている標識が展示されているポケットパークも存在している。
というように、今でこそ那覇に次ぐアーバンシティ浦添だが、その歴史はかなり波乱万丈なのである!
ぜひ、実際に足を運んでその色濃く残る雰囲気を味わってみてもらいたい♪
気が付いたら2021年初のスタジオインビジブル!
しっかり再会を祝ってのロックンロールな一枚!
ワワワワケンロー!!
E.KEMURA
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