Invisible RYUKYU 第112回目は『久志の不思議・英雄とシーグラス』

Wandering Okinawa!

内田裕也を〜家で歌おう〜(´∀`) 

シェケナベイベーロックンロール!!

どうも『ボスの源』です!

(ウチで踊ろうをパロってみたけど、無理ありすぎたな・・。)

ということでね、今宵もラジオくらいは元気にいかんと!と滑るのも恐れずかっ飛ばしてきたぜ〜!

ワワワワケンロー!!

はい、今宵のインビジブルも引き続き名護の東海岸『久志エリア』を紹介しました〜!

名護市久志エリア、元々で言うところの久志間切〜久志村である名護の東海岸エリアはね、先週にもお伝えしたように、戦後には人々の収容避難地区となって、中南部や名護の西エリア、伊江からも多くの人々が疎開や避難をしてきた場所でもある。

そこで当時は一気に人口が膨れ上がって、一時的ではあるが人口6万人を超える久志市、そして隣に人口3万人あまりの瀬嵩市が誕生するという事態にまで発展するんですね〜。

今の名護市全体よりも人口が多いエリアが、あの東海岸沿いに存在していたこととなる。

その後落ち着いてから人々の帰村が徐々に始まり、戦後2年を過ぎた昭和22年には人口800人台にまで戻った。結構な激動だよね(^^;

そして久志と瀬嵩が合併し再び久志村となり、1970年になって旧名護町、屋部村、羽地村、屋我地村と合併し名護市の一部となり今に至る。

そんな旧久志村エリアにおいて、さらにその中での字久志というエリアがある。大きな久志エリアと区別して地元では『小さい方の久志』という愛称を込めて『久志グヮー』とも呼ばれるらしい。

隣の宜野座村との界に位置する、久志エリア最南端の場所。

ちなみに久志というのは、のちの当て字なようで、元々は海に面して集落自体が湾曲に存在して『櫛』のように見えるからだとか、『クシ』というのは方言で『背』を意味することから『海の背』だとか、名護からみて『背』という意味での『クシ』ではないかという説があるらしい。

さらにこの久志エリアの中の字久志、久志グヮーの方に元々は久志番所があったらしいが、ある理由で久志から瀬嵩に移り、今でも久志支所、久志小中学校、久志郵便局などは字久志ではなく字瀬嵩にあるのだ。

時は琉球王朝時代、王府からの文書や伝達を各地へ届ける際に、首里から北上するに当たっては東ルートと西ルートがあった。

で、東ルートで北へ向かう場合には、西原、越来、金武から入って久志番所を経由するんだけど、その先のヤンバルの山々が険し過ぎて一旦逆に南下してから西の名護まで横断して、名護番所経由で更なる北上をしていたと。

そうなると名護番所は西ルートも東ルートの仕事も入ってきて多忙すぎるとの嘆願書を出し、それが聞き入れられて山道を整備し、久志からそのまま羽地まで横断できるようになったと。

そこでどうせなら山道を横断する直前の場所に番所があった方がいいだろうということで、東から西へ横断する起点、いわゆる山道への入り口となる瀬嵩に番所が置かれることになった。

その横断道路が今で言うところの県道18号線となっていく。

わんさか大浦パークから川ぞいに登っていく道ね。

そういった名残が今でも残っていて、名護市役所久志支所、久志郵便局などは字久志ではなく字瀬嵩にあるんだとか。

と、話を久志グァーエリアに戻して、その久志エリア最南端の久志地区集落は海沿いに広がっているんだけど、その集落の一角に小さな民家のようなカワラ屋根のウガンジョがあって、入り口には『久志の若按司御位牌・安置所』と書かれている。

この『久志の若按司』、聞いたことある方はかなりなツウですね〜♪

 ノロ殿内も近くにある

ここからボスエム組踊が始まりますが、こちらの御願所は『久志の若按司』という組踊の中でも非常に人気の高い演目の、その主役でもあるあの『久志の若按司』の御位牌が安置されている場所なんですね〜!

組踊のストーリーとしては、人気の高い『仇討ち』ものなんですが、久志の若按司の義理堅くもインテリ的で裏の裏をかいたかのようなスマートな戦略が爽快に描かれている内容になっている。

こちらの詳細はぜひモノホンの『FM 組踊』で紹介してもらえればと思います♪

その『久志の若按司の墓』も位牌安置所からほど近い集落すぐの海沿いに存在しているので、合わせて訪れてみてはと思います♪

さらにお墓の近くには久志の観音堂という、かなり年期の入られているお堂もあって、お堂の中にはこれまたかなり年期の入った観音様の石像が祀られている。

一つ面白い話があって、この観音様、その昔に中国に渡った首里の役人が一目で気に入って琉球に持ち帰って来たそうな。そして首里へ持ち運ぼうと船から降ろそうとすると、観音様が『久志グヮーんかい!久志グヮーんかい!』と叫んだそうで、観音様がそう言うなら、と久志に奉納されたものなんだとか。

すごい昔風な情緒あるお堂なので、こちらにもぜひ寄って手を合わせてもらえればと思います。

と、一気に気分を変えて、その久志グヮーからもうちょっと北上すると『豊原地区』に入るんだけど、ここにもまたインビジブルスポットが!

入り口を探すのに少し苦労するかもしれないけど、豊原地区の畑の間から海に向かって抜けていくと、豊原ビーチ、又の名を『シーグラスビーチ』というビーチが開ける。

シーグラスって言うと?

そう、海の波で削られて出来たガラス破片の漂着物だよね。

何年も石や砂によって削られることで角が無くなり、丸みを帯びて色も磨りガラスのようにマット系になるんで、桑田真澄の息子じゃないよ、小物アクセサリーのパーツとしても人気が高くなってるよね。

その人気故に、なかなか手に入れることが出来ないと言われるシーグラスだけど、このビーチではかなり高確率でシーグラスを発見することができる。

地形的なものなのかね、ガラスが流れ着きやすい場所なのかな〜とか。

にしても、想像以上にガラスが落ちてて、まだ割れて間もないようなガラスもそこそこあったりするんで、もし拾いに行く場合には、十分足元にも気を付けて拾うようにしてください。

そのシーグラスビーチでも、以前お伝えした断層が歪んで現れているという『褶曲』のミニチュア版も見ることができる♪

ただ、人口ビーチではないナチュラルなワイルドビーチなので、もちろん監視員もいないしネットも張られてないません、海の安全にも十分に気を付けて楽しんでください♪

という、琉球ヒストリーと自然も豊かな名護の久志エリアの紹介でした!

放送後の一枚は、ポリッシュポリッシュで磨きをかける三人!あ、いや1人はポイっしゅされないようにゴマをすってる!?

なんてなワワワワケンロー!!


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E.KEMURA

E.KEMURA

沖縄県内で、外国人向けのフリーペーパー Japan Update の運営を経て、現在は沖縄英字ウェブマガジン Okinawanderer の発行、国際交流プログラム開催、および外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても絶賛驀進中! 2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても沖縄の隠れた魅力を発信中!
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