あなたはもう〜食べたのかしら〜
豆腐の美味しい〜繁多川〜(´∀`)
どうも、南こっせつです。かぐやひもまでパクってるー!
ワワワワケンロー!!!
ということで、キャロル解散コンサートメモリアルデーの4月13日もやり切って参りましたインビジボーRYUKYU!
今夜は、ユリの花畑で有名な大石公園にちなんで、那覇の真和志地区、繁多川・識名エリアを紹介!
コロナ蔓延防止による緊急キャンセルさえ無ければ、今週の日曜には大石公園にてユリ祭りも開催予定になってますよ♪
大石公園ではヤギも飼育されていて、そのヤギの愛くるしさだけでも癒される公園になっているし、
大石と呼ばれるだけあって、公園内の岩山の頂上から見える景色もサイコーにグッド!
さらに那覇にありながらも公園自体が結構な広さで、適度なアップダウンがウォーキングにも最適だし、緑に囲まれた遊歩道での森林浴もサイコーにリラックスできます♪
地域自体にも風情があって、昔ながらの瓦屋根の家屋も多いし(大石だけに!?)、首里のお隣ということで歴史深い史跡も結構残ってるし、何より湧き水が多い!
それ故に繁多川は『豆腐』の産地として有名なんですよね♪
このあたりを紹介していきましょう!
繁多川と湧き水
まず、繁多川のイメージってどういう感じ?
正直、琉球八社の一つである識名宮や世界遺産の識名園がある『識名』のお隣というイメージが強いんじゃないかなと思うんだけど、繁多川と真地はもともと識名村の一部であった。
なので、実際識名宮は繁多川の住所だし、識名園は真地の住所となっている。
その繁多川、実はかつての首里城から金城町の石畳を下りて、識名園、真玉橋、那覇港へと続く真珠道の一部にもなっていて、現在繁多川でも当時の石畳を見ることができる。
首里からの坂道を下り切って、金城ダムにも流れている金城川(後に安里川になる)に架かる金城橋には、歴史深い碑文跡も残っているし、欄干に装飾されているシーサーも古風でカッコいい!
で、この橋を渡ってからの繁多川に登っていく坂道こそ『識名坂』と書いて『シチナンダ』、『シチナンダビラ』、ちょっと怖い幽霊昔話『シチナンダの遺念火』の舞台ともなっている坂なんですね。
というように繁多川は首里のすぐお隣で、琉球王朝時代、屋取り(ヤードゥイ)といって士族が首里から多く移り住んで来た場所でもあると。
ところで繁多川という漢字、川が多く繁ると書いて繁多川、そう、実際に湧き水が多い場所とも伝えたよね。まさに字が表す通りだ!
と思いがちだけど、実は繁多川のハンタは、ウチナー言葉の崖とか端を意味する『ハンタ』のことで、崖のカー、端っこのカーという意味から来ていると。
そのハンタガー、現在でも確かに識名坂を登りきった場所、まさに識名台地の端っこにあって今でもコンコンと水が湧き出ており、繁多川の地名はまさにこの湧き水に由来するんだ!という感動を覚える。
そこから繁多川地区の大通りに出るまでにも、昔ながらの大きな湧き水もいくつかあって、ホントに水どころなんだな〜と思える。
この豊かで美味しい水こそが、『豆腐の里』『豆腐といえば繁多川!』という長年のブランドを作り出してきたのだ。
琉球王朝時代には、日々この急勾配の坂を上り下りして豆腐を首里へと運んでいたんだよね〜。
全盛期には繁多川だけで50件以上の豆腐屋さんがあったという。3軒に一軒は豆腐屋だとも言われていたほど。
ただ現在は、老舗3つの豆腐屋が残るだけとなってしまったようだけど、いまだ繁多川ブランド力は健在!
その美味しさのこだわりから、繁多川の豆腐じゃないと食べない!というファンも数多くいるようだね♪
で、その老舗の一つは永吉(ながよし)豆腐さんというだけど、読み方変えると、永吉(えいきち)豆腐!
こりゃ永ちゃんファンにはたまらん豆腐になるかもよ!? 永吉豆腐さんいかがですか!?
ちなみに、豆腐はもう英語でも『Tofu』で通じるので、とうふチャンプルーと伝えたい場合には、
Fried Tofu and vegetables もしくは Sauteed Tofu and vegetables でいいかなと。
そしてお次がこちら
識名宮と神応寺跡
識名宮といえば、琉球八社の一つでもある神社で、日々参拝者も絶えずホントに地元の人々から愛されている神社というのが分かる。
8年ほど前に神社の建て替えも行われて、現在とても綺麗な拝殿・本殿となり、参道もすごく厳かな雰囲気を感じる。
実は本殿の裏には洞窟があって、その昔一人の女性がその洞窟内から光る何かを発見した。
それを不思議に思いながらも、ありがたいことだと日々祈りを捧げていたら、いつの間にか願い事が何でも叶うようになったと。
その当時、時の国王尚元王の息子が重い病気を患っており、その話を聞いたこの女性がぜひ王子のために祈願されてくださいと申し出て、祈願したところ、徐々に病気が良くなり健康な身体に戻ったと。
そのことに感謝して、王子自らが建立したのが識名宮であったとのこと。
現在も本殿裏の洞窟を外から見ることは出来るし、月に二回、1日と15日には実際に洞窟の中にも入れる。
そしてその識名宮お隣には繁多川公民館があるんだけど、そこは元々識名宮の神宮寺である神応寺というお寺があり、戦争で破壊されたものの石垣の一部が今でも残っていて、それを見るだけでもかなりの雰囲気を感じ取れる。
また、敷地内には神応寺跡の碑も建てられているので、それも是非ご覧頂きたい。
学校数がすごい!
それからこの真和志エリアは、なんといっても学校数がスゴい!
これは戦後の人々の移住や復興に伴う人口増加などによるものだが、
なんと場所によっては300m圏内に近隣校が隣接するという、高密度っぷり!
密です!マングローブです!
マンモス校が多かったのも頷けるよね〜。
で、面白いのが、真和志小学校とか真和志中、真和志支所ってのははあるけど、真和志っていう地名は実は無い。首里の真和志町はまた別ね。
で、石田中学校の石田っていう地名も無いんだけど、以前お伝えした安岡中のような戦後の造語ではなく、そこには昔石田原、そして石田グスクがあって、その名残で石田中となっていると。
その近くにはまた石田ガーという湧き水もあって、繁多川内でも最も古く、そして王朝時代の正月お水取りの際に選ばれる吉方9つの井泉の一つでもあるのだ。
石田っていうのも、なんとなく本土っぽいネーミングだけど、今回はしっかり地元の地名に由来した名前の中学校だったんですね〜。
ということで、これまた面白いインビジブルたくさんの真和志地区の繁多川、識名エリア!
是非足を運んで琉球ヒストリーを感じてみてください♪
ワワワワケンロー!
E.KEMURA
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